スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | スポンサードリンク | | - | - | - |
    Entry: main  << >>
    懸命
    0
       
      先日シリアで亡くなった山本美香さんのニュースを聞くたびに居たたまれない気持ちになる。

      あくまで報道で知った情報でしか言えないけれど、
      山本さんの姿勢
      や人となりが報道を通して伝わるごとに、今回の事件が残念で辛く感じられる。

      身の危険に晒され、明日の命も知れぬ戦場に赴き、
      すぐ目の前を銃
      弾が飛び交う中で取材を続けた山本さん。

      戦場ジャーナリストである以上、戦場に身を置き、
      人と人が殺しあ
      う現場を目の当たりにしながら取材を行うことは宿命づけられるが
      「撃たれるかもしれない。死ぬかもしれない」という覚悟を常に
      持ちながらも
      前に進むのは、そう突き動かすのは、いったい何なの
      だろう。

      戦場ジャーナリストをはじめ、自らの信念に基づき、
      その実現のた
      めに多くのリスクを背負って道を切り開いていく人がいる。

      覚悟したリスクによって命を落としたり不幸に見舞われたりしたと
      き、
      それは「仕方ない」と言えるんだろうか。
      であれば、信念を持って伝えようと行動し、凶弾に倒れた山本さんは、
      道半
      ばながら「本望」だったんだろうか。
      何だか、ずっと心に引っかかっている。今、そのことについて自分の解はまったくない。

      自らの信念を通したのだから、「自分らしい人生だった」と言えるのかもしれない。
      ただ、死を伴うような、あるいは体を酷使して命
      を削るような行動を続けることによって
      本人の意志が実現されてい
      くとき、本人は覚悟を持って進んでいたとしても、
      周囲はどうなん
      だろうか。

      非業の死を遂げた時、隣やそばにいる人たちの
      「生きててほしい」
      「また会いたい」「話したい」「一緒に時間を過ごしたい」
      という
      願いはどうなるんだろうか。

      「本人が納得した道だから」という考えはもちろんあると思う。
      ちらかというと僕もそうなんだろうと思ってきた。
      けれど、いくら
      本人が本心から選んだ道だとは言っても、
      支える人にとっては悔や
      みきれない、抑えきれない感情があると思う。

      納得した人生とは何だろう。
      残された周囲の人間は、その本人の納
      得した人生を時をかけて理解していく―
      それは宿命で、避けられな
      いことなんだろうか。

      もちろん命を失いたくて失うわけではない。
      でも、危険が十二分に
      想定される場所に覚悟の上で突き進んでいる。
      それでもその先に向
      かって突き進み、やがて自己実現する事が
      周囲にとっても幸せなの
      だということは、一つの考えとしてあるかもしれないが、
      決して周
      囲が望むことと一致しない可能性も往々にしてある。

      そういえば以前、NHKの『プロフェッショナル』でリクルートエージェントの方が
      取り上げられた時、主人公の方を見て思った。
      分と周囲のことを人一倍考えるからこその“いばらの道”が、
      周囲
      からすれば痛々しく辛く感じるのではないか、と。

      単純な二者択一の話ではないことは理解している。
      何かを犠牲にし
      なければ何かを得られない―という理屈もわかる。
      けれど、強い志
      と行動力を持つ人であればあるほど、その生き方を見るたびに、感じる。
      もしかすると、「これが幸せだ」と信じ込ませていやしない
      か―とも。

      かんなのように命を削るから、世の中にその意志がメッセージになってもたらされ、
      この社会は良くなっていくんだろうとは思う。そ
      れは否定しない。
      が、人はひとりで生きていないことを想像したと
      き、
      一つの命の縦・横のつながりを意識したとき、
      身を賭して何か
      を遂げることの「尊さ」と「哀しさ」の両方が去来する。

      自分の一生は自分以外には責任をとれない。
      だからこのような事件
      では「自己責任」という言葉が出てくる。
      けれど、当人の「自己責
      任」によって、誰かの人生が必ず影響される。
      その時、その人もま
      た自分自身の人生にその重い事実を抱えて「自己責任」しなければならない。

      ご遺族である、山本さんのお父様の言葉が印象に強く残っている。

      『娘は、優しい視線で、恐ろしい戦場や紛争地で生きていかなきゃ
      ならない人たちがいることを、
      優しい声をかけながら、厳しくカメ
      ラで捉えていた。
      銃口が平然と向けられていく現実を、そのいまい
      ましさ、おぞましさを、
      彼女は身をもって、身をていして、皆さん
      に示したと思っています。
      立派な最期だったと思っています。』

      気丈に答えるお父様の姿を見て、ますます尊く感じ、哀しくもなった。

      | マチャアキ | 02:42 | - | - | - |
      スポンサーサイト
      0
        | スポンサードリンク | 02:42 | - | - | - |

        PR

        Calendar

           1234
        567891011
        12131415161718
        19202122232425
        2627282930  
        << November 2017 >>

        Profile

        Search

        Entry

        Archives

        Link

        Feed

        Others

        無料ブログ作成サービス JUGEM

        Mobile

        qrcode